なにかと知りたい

 今の時代、巷に情報が満ちあふれています。そこで、情報の海の中から、興味のあるものを拾い出して、いろいろいじってみようかなあ、なんて思っています。

2008-10

境界 - アチラとコチラ

人生って、選択の連続ですよね。

 おかずを選ぶ、好きな服を選ぶなんてところから始まって、学校を選ぶ、就職先を選ぶ、結婚相手を選ぶという結構大きな選択もあったりします。場合によっては、善良な市民だったはずの人が、犯罪という選択をすることもあります。

 ブログの出だしは、もっと軽いテーマにしようかと思ったんですが、偶然かもしれませんけど、最近この手のこういう情報が相次いで、僕の意識に入りこんできたもんですから。

 たまたま読んだ本が、京極夏彦の「魍魎の匣(もうりょうのはこ)」。これはハコをキーワードにした小説ですが、いわゆる「境界」というものをテーマにしたものです。
 人間って、ハコのような、境界によって閉ざされた空間があると、「なんじゃらホイ」って、ついついその中を覗きたくなる。きっと本能なんでしょうね。

 僕らが「常識」って言っているものは、宗教だとか、社会規範だとか、慣習なんていう、人間がうまく生活するために作られた、ある意味人為的な「境界」のコチラ側なんだと思います。この境界のコチラ側にいれば「安心して」過ごせるものを、ついつい本能に従ってっていうか、興味本位で境界を超えて、アチラ側を覗いてしまうヤツがいる。

 で、その結果、それがプラスに働けば、科学の飛躍的な発展につながるとか、思想や芸術のブレークスルーをもたらす場合もあるけど、そうじゃない場合は、陰惨な犯罪事件を引き起こすこともあるわけですね。

 そこで、ここ何日か話題になっている、「インターネットの自殺サイト」の容疑者です。いままでの供述では、3人の自殺志願者を「殺している」ということです。「窒息して苦しむ様子がたまらない」というような供述を聞くと、たしかに異常な精神状態としか思えません。でも、一方では、こういう嗜好の人って、世の中には結構いそうな気がします。

 「異常」と「正常の」の境界っていうのも人為的ですよね。限りなく「異常」に近い「正常」な人とかいたりして、そもそも「境界」がないものを無理やりどこかで線引きしてる。そいう事実も知っておく必要があると思います。

 この話題のついでに言えば、「自殺」と「他殺」の境界もあいまいというか、どこか人為的です。仮に、犯人が「被害者」に何も手をかけなかったとしても、それを見てみぬふりをしていたわけですから、きっと何らかの罪に問われるんでしょうね。でも、実際にはこの犯人は「被害者」の口を押さえたりしたらしいので、その場合はあきらかに他殺と判断されるはずです。

 一方では、殺された人たちは、そもそも、死ぬことを希望してたわけですから、このあたりをどういうふうに考えればいいのうでしょうか。なんともやりきれない気持ちになります。

 テレビの報道によれば、犯人のこういう趣向は、中学時代に作られたそうです。どんなきっかけかは知りませんが、彼も境界のアチラ側に行ってしまったわけです。

 今回の事件はともかくとして、よく、マスコミも報道では「こんな真面目な人が殺人を犯すなんて」みたいな情緒的な報道がされる度に「そうじゃないだろう」って思うのは僕だけでしょうか。

 彼(犯人)だけでなく、僕やあなたの中にある、「境界を踏み越えて、日常的でない場所を覗いてみたい」という願望がエスカレートしたときにそういうことが起きるんじゃないでしょうか。まず、そこを押さえた上でないと、次に(犯罪防止策とか)進めないような気がするんですけどね。



テーマ:不安定な心 - ジャンル:心と身体

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