アメリカの核の傘に隠れる日本って、、、、
最近、「日本が核兵器を持つ可能性」という議論、あるいは記事を見ることがあります。
■日本人の核兵器への関心
僕らは、「日本は世界で唯一の被爆国」であり、「こんなことは2度とあってはいけない」という教育を受けています。
ですから、こういう議論があること自体がとても不思議なことであり、強い違和感を感じてしまいます。
でも、そんなことも言っていられないようですね。現実を見てみると、最近、若い人たちの中には、日本が原爆を落とされたことさえ知らない人たちがいるらしいんですね。こういう人たちは、もちろん、核兵器がどのような被害を引き起こすのかとか、広島や長崎の原爆での被害の実態も知らないでしょうし、もっと言えば、「今の日本の教育はどうなってんの」とさえ思えてきます。
そういう実態があることを考えると、日本国民の世論が「日本の核武装」を肯定するような考え方が生まれてくること自体何ら不思議なことではないのかもしれません。
■日本人の核武装の可能性
まあ、それはそれとして、現実の日本の核武装の可能性ってあるんでしょうか?
まず、技術的には、核兵器というのは日本の技術力からすれば、そんなに難しいものではないと言われています。現実的には、実用化のため、数年間は各種の実験を繰り返す必要があるらしいですが、いずれにしろ、日本が核兵器を持つことは簡単なことらしいですね。
政治的にどうでしょう。おそらく、日本の世論は圧倒的に「日本の核武装はありえない」「してはいけない」というものだと思います。
ただ、これが、未来永劫続くのかどうかはわかりません。前述のように、若い人たちの意識の変化をみると、どうも自信を持てません。
■日本とアメリカの結びつき
ところで、日本は「非核三原則」を国是としています。これは「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という考えですよね。
でも、実態はどうでしょう。
たとえば、日本の港に立ち寄るすべて船に核兵器が積まれているかを調査するなんてことをしているんでしょうかね。たとえば、寄港する各国の艦船には、「非核証明書」の提出を義務付けている神戸のようなケースもあるみたいですが、実際には、ほとんどフリーパス、つまり、船に何が積まれているかを調べる方法はないというのが実態のようですね。
それと、現実を見てみると、今の日本はアメリカの核に守れていると事実があります。
つまり、「世界で唯一の被爆国」であり「非核三原則」を堅持している国でありながら、「アメリカの核に守られている」という、どうにもおかしな状態になってしまっているわけです。
アメリカとの間には、政治的にも経済的にも強いつながりがありますし、日本としては、これからも、このきずなを大事にしていきたいという思いがあります。
また、アメリカのおかげで「経済大国」といわれるまでに発展することができたという強い恩もあります。
ですから、アメリカを無視することは、現実的には不可能です。
ただ、このアメリカとの「強いきずな」が、日本を悪い方向に向かわせているという考え方もあります。
僕の個人的な考えでは、この国の一番大きな収入源は「戦争」だと思っています。
たとえば、イラクで、アメリカがしかけた戦争はなんだったんでしょう?
「イラクが大量破壊兵器を持っていて、とっても危険な国だよ」
というのが表向きの理由だったんですが、実際には「大量破壊兵器」なんてどこにもなくて、それどころか、「大量破壊兵器」って、実は「以前に、アメリカがイラクにあげた兵器のこと」を言ってたんじゃないかとさえいわれています。
さらに、この戦争のホントの理由は「アメリカのドルを守る」ことであり「イラクの石油資源がほしい」っていうことだったらしいですから驚きです。
イラク戦争はホンの一例だと思いますが、日本はアメリカのこういうやりかたに歩調を合わせて、自衛隊を海外に派遣したりしてますが、本当にこれでいいんでしょうか?
実際に、こういう日本の政治活動のお陰で、日本は確実にテロリストたちの標的になってしまっている事実があります。
■もっと議論を
「日本を守るためだから、アメリカの核の傘の下に隠れるのもしょうがない」という考え方もある程度理解できます。
でも、そうなると「世界で唯一の被爆国」という日本のアイデンティティは一体どこに言ってしまったんでしょうか?
しかも、上述したように、アメリカと一緒に行動することが、逆に日本に危険をもたらすという、思わぬ結果を招いているわけです。
先日、防衛大臣が、広島・長崎への原爆投下を「しょうがない」と発言して、最終的に大臣を辞任するまでになってしまいました。
この発言に強い批判があったのは「しょうがない」とは思いますが、この「しょうがない」というのにはどういう意味がこめられていたんでしょうか、マスコミの報道をみても全くその真意が伝わってきません。
僕はマスコミの報道を含めて、こういうことを単に「ダメ」で終わらせるんじゃなくて、もっと議論する機会があってもいいんじゃないかと思います。
日本は民主主義ですよね。
いろんな人たちの意見を聞いて、議論して、より良い方向に持っていくのが民主主義じゃないでしょうか。
まあ「核兵器を持つべき」というヒトがどの程度いるのか、それさえも分かりませんが、そういう人も含めた、もっと突っ込んだ、オープンな議論が行われていいのかなと思います。
たとえば、
「アメリカの核の傘を離れて、日本独自の防衛って可能なの」
「日米安保を破棄したらどうなるのか」
「日本の核武装はいいのか、悪いのか」
「日本の核武装がダメなら、なぜダメなのか」
「核武装なしでの防衛は可能か」
とかね。
■勝手な提案
「世界で唯一の被爆国」である日本です。
これは日本の大きなアイデンティティです。
核兵器の被害の実態を、もっと広く世界に知らせて、核兵器の廃絶のための努力をもっとするべきだと思います。
もっと、予算配分を増やしましょう。
啓蒙活動をするための機関を作ってもいいくらいです。
たとえば、「平和省」とか「核廃絶省」とかね。
世界各国へ出かけていって、核兵器の被害について訴えて行くんです。映画を上映したり、各国語で書かれた本を配布したり、フォーラムを開催したり、核兵器廃絶の努力をした人を表彰したり、等々、、、、
これが、日本にもプラスになるはずですし、日本の外交や防衛にもプラスになるはずだと思います。
ただ、議論の封じ込めはいけません。
もっと、オープンに、核兵器推進論者も含めた議論の場もふやしましょう。
■日本人の核兵器への関心
僕らは、「日本は世界で唯一の被爆国」であり、「こんなことは2度とあってはいけない」という教育を受けています。
ですから、こういう議論があること自体がとても不思議なことであり、強い違和感を感じてしまいます。
でも、そんなことも言っていられないようですね。現実を見てみると、最近、若い人たちの中には、日本が原爆を落とされたことさえ知らない人たちがいるらしいんですね。こういう人たちは、もちろん、核兵器がどのような被害を引き起こすのかとか、広島や長崎の原爆での被害の実態も知らないでしょうし、もっと言えば、「今の日本の教育はどうなってんの」とさえ思えてきます。
そういう実態があることを考えると、日本国民の世論が「日本の核武装」を肯定するような考え方が生まれてくること自体何ら不思議なことではないのかもしれません。
■日本人の核武装の可能性
まあ、それはそれとして、現実の日本の核武装の可能性ってあるんでしょうか?
まず、技術的には、核兵器というのは日本の技術力からすれば、そんなに難しいものではないと言われています。現実的には、実用化のため、数年間は各種の実験を繰り返す必要があるらしいですが、いずれにしろ、日本が核兵器を持つことは簡単なことらしいですね。
政治的にどうでしょう。おそらく、日本の世論は圧倒的に「日本の核武装はありえない」「してはいけない」というものだと思います。
ただ、これが、未来永劫続くのかどうかはわかりません。前述のように、若い人たちの意識の変化をみると、どうも自信を持てません。
■日本とアメリカの結びつき
ところで、日本は「非核三原則」を国是としています。これは「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という考えですよね。
でも、実態はどうでしょう。
たとえば、日本の港に立ち寄るすべて船に核兵器が積まれているかを調査するなんてことをしているんでしょうかね。たとえば、寄港する各国の艦船には、「非核証明書」の提出を義務付けている神戸のようなケースもあるみたいですが、実際には、ほとんどフリーパス、つまり、船に何が積まれているかを調べる方法はないというのが実態のようですね。
それと、現実を見てみると、今の日本はアメリカの核に守れていると事実があります。
つまり、「世界で唯一の被爆国」であり「非核三原則」を堅持している国でありながら、「アメリカの核に守られている」という、どうにもおかしな状態になってしまっているわけです。
アメリカとの間には、政治的にも経済的にも強いつながりがありますし、日本としては、これからも、このきずなを大事にしていきたいという思いがあります。
また、アメリカのおかげで「経済大国」といわれるまでに発展することができたという強い恩もあります。
ですから、アメリカを無視することは、現実的には不可能です。
ただ、このアメリカとの「強いきずな」が、日本を悪い方向に向かわせているという考え方もあります。
僕の個人的な考えでは、この国の一番大きな収入源は「戦争」だと思っています。
たとえば、イラクで、アメリカがしかけた戦争はなんだったんでしょう?
「イラクが大量破壊兵器を持っていて、とっても危険な国だよ」
というのが表向きの理由だったんですが、実際には「大量破壊兵器」なんてどこにもなくて、それどころか、「大量破壊兵器」って、実は「以前に、アメリカがイラクにあげた兵器のこと」を言ってたんじゃないかとさえいわれています。
さらに、この戦争のホントの理由は「アメリカのドルを守る」ことであり「イラクの石油資源がほしい」っていうことだったらしいですから驚きです。
イラク戦争はホンの一例だと思いますが、日本はアメリカのこういうやりかたに歩調を合わせて、自衛隊を海外に派遣したりしてますが、本当にこれでいいんでしょうか?
実際に、こういう日本の政治活動のお陰で、日本は確実にテロリストたちの標的になってしまっている事実があります。
■もっと議論を
「日本を守るためだから、アメリカの核の傘の下に隠れるのもしょうがない」という考え方もある程度理解できます。
でも、そうなると「世界で唯一の被爆国」という日本のアイデンティティは一体どこに言ってしまったんでしょうか?
しかも、上述したように、アメリカと一緒に行動することが、逆に日本に危険をもたらすという、思わぬ結果を招いているわけです。
先日、防衛大臣が、広島・長崎への原爆投下を「しょうがない」と発言して、最終的に大臣を辞任するまでになってしまいました。
この発言に強い批判があったのは「しょうがない」とは思いますが、この「しょうがない」というのにはどういう意味がこめられていたんでしょうか、マスコミの報道をみても全くその真意が伝わってきません。
僕はマスコミの報道を含めて、こういうことを単に「ダメ」で終わらせるんじゃなくて、もっと議論する機会があってもいいんじゃないかと思います。
日本は民主主義ですよね。
いろんな人たちの意見を聞いて、議論して、より良い方向に持っていくのが民主主義じゃないでしょうか。
まあ「核兵器を持つべき」というヒトがどの程度いるのか、それさえも分かりませんが、そういう人も含めた、もっと突っ込んだ、オープンな議論が行われていいのかなと思います。
たとえば、
「アメリカの核の傘を離れて、日本独自の防衛って可能なの」
「日米安保を破棄したらどうなるのか」
「日本の核武装はいいのか、悪いのか」
「日本の核武装がダメなら、なぜダメなのか」
「核武装なしでの防衛は可能か」
とかね。
■勝手な提案
「世界で唯一の被爆国」である日本です。
これは日本の大きなアイデンティティです。
核兵器の被害の実態を、もっと広く世界に知らせて、核兵器の廃絶のための努力をもっとするべきだと思います。
もっと、予算配分を増やしましょう。
啓蒙活動をするための機関を作ってもいいくらいです。
たとえば、「平和省」とか「核廃絶省」とかね。
世界各国へ出かけていって、核兵器の被害について訴えて行くんです。映画を上映したり、各国語で書かれた本を配布したり、フォーラムを開催したり、核兵器廃絶の努力をした人を表彰したり、等々、、、、
これが、日本にもプラスになるはずですし、日本の外交や防衛にもプラスになるはずだと思います。
ただ、議論の封じ込めはいけません。
もっと、オープンに、核兵器推進論者も含めた議論の場もふやしましょう。
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戦争と暴力をいかに考えるべきか
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戦争の恐ろしさを一番よく知っているのは、実は、職業上、軍人たちです。彼らは、原爆が破壊力を感情的にではなく、リアルに理解しています。核兵器が使用されれば、どれくらいの死者が自国民にでるか、常にシミュレートしています。
彼らは、敵に核の使用を思いとどまらせるには核武装しかないと考えています。実際使うかどうかは別にして、いつでも使えるぞという状況こそが、平和を維持するのであって、相手によっては話し合いでは無理か、相手に十分な脅威を与えることができる状態を確保して、初めて話し合いができる場合がほとんどです。核抑止論は、平和主義者でも、理論としては理解していると思います。
核兵器に限らず、軍事的な裏づけがない、平和推進は、ミュンヘン会談の二の舞を起こすことになります。つまり、”無条件での平和推進”は平和どころか、むしろ、戦争を招来することになるという歴史的教訓です。
中国と朝鮮が完全な自由主義体制に転換する条件が成立すれば別ですが、今の状況では、アメリカとの同盟を解消することは核武装を意味します。中国と朝鮮というのは、残念ですが、丸腰で、まともな話ができる相手ではありません。背景に軍事力をちらつかせないと約束(条約)を守らない国です。
ともかく、暴力は暴力でしか解決できない場合があることも平和論者は認めねばなりません。そして、平和論者は、暴力を使わずに解決できる場合とできない場合の境を明確にする必要があります。そうでないと、ただの感情論の応酬となり、核武装推進派と折り合いをつけることは永遠にできないでしょう。
ガンジーの非暴力主義は、暴力を避けて、問題を解決しましたが、これは支配者がイギリス人だったためです。第二次大戦勃発前、ヒトラーは、イギリスの元首相ロイド・ジョージの会談で、イギリスのインド問題は、ドイツなら一ヶ月で解決できると言ったと伝えられています。敵がヒトラーなら、ガンジーも武器を取ったことでしょう。
核武装派も、核戦争を望んでいるわけではなく、戦争を回避するためにそのように考えているのです。核武装派は、すべての人間を無条件で信用できるわけではないという立場から、出発しており、ここが、努力によって理解可能とする絶対平和論者との哲学的な相違です。